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適応障害と休職

コーヒーショップの店先で話していた2人の男性。詳しくは聞こえなかったけど、後輩らしき方がメンタルバランスを崩しているような内容が聞こえてきた。応援しようとする先輩の、「真面目だから、頑張らなくていい、休むように」そんな気持ちのこもった言葉が、想いが感じられる。聞こえちゃってごめんね、と思いながらも、「大丈夫。大丈夫ですよ。よくなるから、大丈夫。」そう声をかけたくなった。あとで、ちらっと目が合った。言おうかな、、どうしよう。でも、自分がその渦中にいた時、そんな声をかけられたら、困惑しただろう。嫌だったかも。そう思って、やっぱり声をかけられなかった。

3年前の秋〜冬、「適応障害」で3ヶ月休職した。うまく対処して、付き合ってるつもりだった職場でのストレスが、キャパを超えたようだった。涙が止まらず職場で1時間トイレから出られない、何よりも楽しみなランチが食べられない、人目が怖い、朝起きるのが辛い、朝お風呂に入って血流を上げないと動けない、今から考えると異常事態だけど、その時は少しずつ積もっていった、対処したつもりだった症状が、いつのまにか《日常》になっていた。通っていたカウンセリングで、自分から「様子がおかしいから心療内科を紹介して欲しい。薬は飲みたくないから、そんな方針でもよい先生をお願いしたい」と頼んだ。

心療内科にいくと「少し仕事を休んではどうですか?」と。即座に、「いや、休めないです。忙しいし、そんな休むとかいまできないです」と答えた。「わかりました。とりあえずまた来週来てください」と先生。次の朝、目は覚めたが、ベッドから起き上がれなかった。別にどこか痛いとかじゃない。ただ、起きあがろうとしても、全身が反発してるみたいに、オモリでもついてるみたいに、起き上がれないのだ。驚いた。そして焦った。「このまま起き上がれなくなったらどうしよう」まずは上司に体調不良で休むことを伝え、しばらくしたら這うようにお風呂に入り、血流をあげて、無理やり着替えて、いつもいく鎌倉のハイキングコースを歩くことにした。緑の中を歩いて、海を見れば、また、気持ちも晴れて、いつものように回復できる。はずだった。その日、なんとかコースは歩いたけど、いつもリフレッシュできる散歩がまったく楽しくなかった。行き帰りもあまり記憶がない。とにかくずっとクタクタで、帰れるかな、、とよぎったのを覚えてる。鎌倉から都内のマンションに帰るのも大変だった。

確か2日くらい休んで、そのまま週末に突入したと思う。週明け、心療内科に再訪して、先生に「休もうと思います」と伝えた。

「適応障害。3ヶ月休養の診断書を書きます。」「いや、そんなの長すぎます。そんなに休めません。」振り返ると、長期で休んだら会社を辞めるしかないかも、と焦っていたと思う。「3ヶ月の診断書だからといって3カ月休まなくてもいいんですよ。よくなればもっと前に復帰すればいい。3ヶ月くらいの休養が必要な状況であることを会社に知ってもらうための診断書とおもってください」と先生。それならば、と納得して、診断書を受け取り、会社に提出した。

《明るく、元気、スポーツ》キャラ。気分転換と遊ぶのは得意。そんな自分が、まさか適応障害/うつ で休職するなんて、信じられなかった。怖かった。認めたくなかった、とも思う。でも、確実にメンタルバランスを崩していたし、《うつの症状》は揃っていた。それも後から認識できたことだったけど。